森の精霊樹 7

written by Richiya Naitoh 2007


 ……どれほど気を失っていたのでしょうか。シロップは柔らかく積もった落ち葉の上で目を覚ましました。ゆっくりと首をめぐらせると、苔むした巨大な石積みがありました。
「……うう~ん、ここ、どこだろう?」
 起き上がりながら、シロップは気を失う前のことを懸命に思い出そうとしました。しかし、頭の中は霞がかかったようにぼんやりとしたままで、何も思い出せません。
「ここは精霊樹の遺跡。勇者シロップよ、あなたを呼んだのは、私です」
 突然ずっと高い所から聞こえました。目の前の崩れかけた石積みを覆うように巨大な木の根が張っています。視線を上へたどると、幾抱えもあるような太い幹がまっすぐに生えています。枝は隙間もないほど葉が茂り、天を覆うほど広がっていました。その幹が光り始め、あまりの眩しさにシロップは両腕で目を覆いました。その光に頭の中の霞を吹き払われたのか、腕を降ろした時にはシロップは精霊樹のこと、忘れん花のこと、ジャムのことなど、次々と思い出しました。
「ジャム……ジャムはどこ?!」
 いつの間にか、シロップの目の前に、白いドレスを着た美しい女の人が立っていました。長い髪は深い森を思わせる緑で、どことなくジャムに似ているような気がしました。
「勇者シロップ、私の呼びかけに答えたのは、あなたが初めてです。よくここまで来ましたね」
 女の人は、優しくシロップを見つめました。
「……呼びかけ? あなたは、いったい誰ですか?」
 シロップは用心深く尋ねました。悪い者ではないようですが、どこか普通の人間とは違う雰囲気に、シロップは警戒心を抱いたのです。女の人は、寂しげに微笑むと、言いました。
「私は、この森に住んでいた古(いにしえ)のエルフの女王、マーマレードです。あなた方が『精霊樹』と呼んでいるのは、私の事なのです」
 シロップは驚きました。精霊樹が古のエルフの女王の事だとは、思ってもいなかったのです。同じエルフ族であるジャムも、この事を知ったらさぞ驚く事でしょう。
「私達は、もう千年以上も昔に、この地に住んでいました。美しい森と泉に囲まれ、エルフと人間が親しく暮らしていたのです。しかし、悪い病気が流行してエルフも人間も次々と死んでゆきました。女王である私は、皆の記憶と魂を集め、いつまでもこの地に留まる精霊樹となったのです」
「……あなたは、死んでいるのですか?」
 シロップは女王をまじまじと見詰めました。女王の身体は淡い光を放ち、この世の者とは思えません。でも、なぜだか怖くはありませんでした。
「そう、この姿は、仮のもの。私の魂は、皆の魂と共にこの精霊樹として生きているのです」
「精霊樹は、全ての森の守り神で、その知恵を得たものは世界を支配する事が出来るって聞きました。違うんですか?」
 シロップはジャムやシュガーのお父さんの語った言葉を思い出していました。
「私達は、伝説の原始の精霊樹とは違います。でも、大勢のエルフや人間の記憶を持っているので、確かに知識は豊かです。この知識と知恵をもってすれば、世界を統べる事は容易いでしょう。しかし私――いいえ、私達の記憶の全てが、誰かの所有物となる事を拒んでいます」
「それは、何故?」
 シロップの問いに、周りの木々がざわざわと悲しげに葉を揺らしました。
「あなたも知っているはず。精霊樹を探して大勢の人間が争い、傷付け合い、悲しんでいます。そんな人間が精霊樹の知識を得たら、きっともっと酷い争いが起こるでしょう」
 女王の瞳は悲しみに沈んでいました。シロップは怯えた村の人々や、病気になったシュガーのお父さんや、シュガーの事を思い出しました。森が忘れん花で男たちの記憶を失くさせたのも、そのためだったのです。
「それで……僕を呼んだのはなぜですか?」
「私は常に呼びかけているのです。でも、心が清く、欲望や憎しみに囚われていない者にしか、私の声は届きません。勇者シロップよ、あなたは、本当に清い心の持ち主ですね」
 女王マーマレードの微笑みは、女神のように慈悲深く、神々しいものでした。
「私達は、あなたを選びました。精霊樹の知識をあなたに授けようと。この森は、あなたの意思に従うでしょう。清く、優しい勇者よ、あなたはこの世界を統べるに相応しい人間です」
「え、ええっ?! 僕が世界を? ちょっと待って、それは出来ないよ。僕はまだ子供だし、勇者としても未熟だし……!」
 思いがけない女王の言葉に、シロップはおろおろと後ずさりました。
「僕はただ、僕のお母さんの事を教えて欲しかっただけなんだ! 世界を支配するなんて……僕はそんな事は望んでいないよ!!」
 シロップは突然ジャムがいない事を思い出し、不安に駆られました。シロップは森を見渡し、叫びました。
「ジャム! ジャム、どこなの?!」 
 シロップは母親とはぐれた迷子のように、泣き出したい気持ちになりました。女王マーマレードは悲しそうに目を伏せました。女王は徐々に光を失い、大人の女性だった身体はいつの間にかやせっぽちの少女のようになり、気が付けば女王の姿は、ジャムになっていました。シロップはもう何年もジャムに会っていなかったような、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
「ジャム! どうして、女王がジャムに?」
 シロップは驚きの声を上げ、ジャムに駆け寄りました。ジャムは長い夢から覚めたように、ぼんやりしていましたが、次第に記憶を取り戻したようです。
「シロップを追っているうちに、忘れん花の香りを嗅いでしまったみたい。気を失ってしまったあたしとあんたを蔦が担ぎ上げてここへ運んだのよ……精霊樹の記憶が乗り移って、何もかも判ったわ。女王があんたに話した事も」
 ジャムの瞳はきらきらと輝きだしました。
「シロップ、あんたは精霊樹に選ばれたのよ! 凄いわ! 精霊樹が世界を統べるに相応しい勇者だと認めたのよ!!」
 いつもシロップを子供扱いして叱ってばかりいたジャムが、シロップの肩を抱いて、大喜びです。しかし、シロップには戸惑いしか感じられませんでした。
「ジャムは本当にそれでいいと思ってるの?」

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