森の精霊樹 6

written by Richiya Naitoh 2006


「どうしたの、ジャム?」
 風もないのに森の木々がざわざわと葉を鳴らすのを聞いて、ジャムはふと立ち止まりました。不思議そうに振り返るシロップに、ジャムは囁きかけました。
「……あたし達を尾けてくる奴らがいるらしいわ。このままでは、精霊樹のありかを知られてしまう」
「どうしよう?」
 不安げに顔を見合わせる二人に、木々がまた葉を鳴らして答えます。ジャムがそれをシロップに伝えました。
「この先に大きな木があって、その幹に洞(ウロ)が開いているから、そこへ入るのね? シロップ、急ぎなさいって」
 二人は木に教えられるまま、大きな木の洞を目指して、足を速めました。その木はシロップ達が世話になったシュガー親子の小屋よりも太い幹の古い巨木で、ぽっかりと口を開けた真っ暗な洞は、二人が身を潜められるほど広々としていました。しかし、二人がそこへ潜り込むと、入り口は見る見る縮んでいき、外からでは中に二人が隠れているとは判らなくなってしまったのでした。

「くそぅ、また行き止まりか!」
 男達が二人の隠れた巨木の前で、口々に悪態をついています。シロップとジャムは小さくなった入り口の穴から、外の様子を伺っています。男達が木の前で固まった時、不意に高い木の上からきらきらと光るものが降り注ぎ始めました。
「何だ、こりゃ?」
「花びらか? ……なんだかいい匂いだな」
 薄水色の花びらが、雪のように男達の周りを舞い散ります。
「うわぁ、きれいだなぁ……」
 シロップも思わず声を上げます。しかし、ジャムは慌ててシロップの口を押さえると、小声で諌めました。
「シロップ、あれは『忘れん花』(ワスレンカ)だわ、匂いを嗅いではだめよ!」
「わすれんか?」
「とてもいい匂いだけど、その匂いを嗅ぐと全ての記憶を無くしてしまうの。とても危険な花なのよ」
 男達は惚けたように花びらを浴び続けています。あの様子では精霊樹を探していた事も忘れてしまったでしょう。
「じゃぁ、あの人達はもう僕達を追っては来ないね。良かった」
 シロップはにっこりとジャムに笑いかけました。しかし、ジャムは厳しい顔をしています。
「どうしたの? もう、心配な事は何もないじゃない」
「忘れん花の匂いを嗅ぎ続けると、怖さを忘れて崖から落ちたり、湖に飛び込んだりするかもしれないの。死ぬ事が怖くなくなってしまうのよ。だから、危険な花だって言うの。あの人達、無事に森から帰れないかもしれないわ。とっくに帰り道を忘れているでしょうからね」
 シロップはさっと顔色を変えました。
「だめだよ、そんなの!」
 シロップは立ち上がりました。巨木は驚いたかのように洞の入り口を広げました。シロップは外に飛び出しました。
「シロップ?!」
 ジャムも慌ててその後を追います。
「シロップ、息を吸っちゃだめ! 息を止めなさい!」
 ジャムは口を手で覆いながら叫びますが、シロップは忘れん花の花びらを掻き分けて男達に飛びつきました。
「おじさん、こっちだよ、早くこっちに来て!」
 ぼんやりしたまま立ち尽くす男達を引っ張って、シロップは巨木の洞へ急ぎます。しかし、どうしたことか、どこにその木があったのか方向を思い出せません。慌てて外へ飛び出した時、シロップもうっかり忘れん花の匂いを嗅いでしまったのです。
「シロップ、こっちよ!」
 誰かの呼ぶ声がします。いや、シロップとは誰の名前なのかも思い出せません。
「……だめだぁ、体に力が……入らない……」
 シロップの意識は朦朧としてきました。男達を掴んだ手の力が抜け、シロップはそのまま地面に倒れ込んでしまいました。

「おとぎ堂」No.18(2006年9月発行)掲載分

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